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有名人と病気 のアーカイブ
「B型肝炎を克服して『いっしょに泳ごうよ』と呼びかけた石川ひとみさん」
- 2010-12-31 (金)
- 有名人と病気
石川ひとみさんは、アイドル歌手として1978年にデビューして、1981年に「まちぶせ」という歌で紅白歌合戦に出場しました。
1960年代生まれの人たちを中心にして、想い出されるアイドル歌手かもしれません。
1987年に、ミュージカル公演のリハーサル中に、発病していたB型肝炎のために倒れて入院します。
退院後に当時所属のプロダクションから契約を破棄されてしまったため、しばらく芸能界を退いていましたが、翌年復帰します。
石川ひとみさんはこのときの経験から、病気をした事で、本当の友達や人の有り難さ・無情さもわかったと後に語っています。
病気になった途端顔を見せてくれなくなった友人もいたそうで、華やかなアイドル歌手生活から一転しての闘病生活は、精神的な苦痛を伴うものでもあったようです。
1993年に結婚して、その後、NHKの子供向けの番組に出演するなど、ファミリー向け活動を展開しています。
さらにその後は音楽活動に並行して、講演会等エイズや肝炎に関係した活動もしています。
また、B型肝炎との闘病記『いっしょに泳ごうよ』を著作しています。
B型肝炎とは、B型肝炎ウイルス (HBV) に感染することで発症するウイルス性肝炎の一つです。
日本においてB型肝炎ウイルス保有者(キャリア)は、150万人程度といわれています。
そのうち10%が肝炎発症となり、慢性肝炎、肝硬変、肝細胞癌に進行します。
しかしながら、95%は自然治癒して、キャリアのうち5%が慢性肝疾患になります。
B型肝炎ウイルスは血液を介して感染しますが、成人以降での水平感染 の多くは一過性であることが多いです。
石川ひとみさんは、B型肝炎への偏見なき正しい知識を広めるために『いっしょに泳ごうよ』を書き、講演活動を続けています。
石川ひとみさんが病気回復後のリハビリとしてはじめたスイミングスクールで、同じプールを使っている幼児の母親たちから、病気が感染するから石川さんをスクールから止めさせてほしいという苦情が寄せられたという苦しい経験からこの本のタイトルになっています。
石川ひとみさんは、「そんなことでは絶対に感染しないのに!」と静かに訴えています。
その病気だけでなく、それに対する社会的な偏見が、患者を苦しめている例は多くあります。
それは科学的な医療では解決できない問題でもあります。
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「アン・ルイスさんを襲ったパニック障害という難病」
- 2010-12-28 (火)
- 有名人と病気
アン・ルイスは、ハーフのモデルのような彫の深い顔立ちと天性の明るい性格のような印象のある歌手です。
パンチのある歌声でロック歌手としての歌唱力も評価されていますし、そのオリジナルの楽曲は他の歌手に多くカバーされている、日本のポピュラー音楽界に影響力もある女性歌手でもあります。
現在では、ファッションやペットグッズなどのデザイン、プロデュースも手がけている幅広い才能をもった女性タレントでもあります。
そのような幸福な芸能人にも視えたアン・ルイスさんも、芸能活動を中断していた時期があり、記者会見の席上で自ら「パニック症候群」であることを打ち明けています。
また、もともと自身では歌手としてソフトな声質でバラードに向いていたと思っていたけれども、無理にロック調なナンバーを歌うことで喉を酷使して声を潰してしまったとも告白していて、芸能界での精神的な悩みが多くあったことが推測されます。
しばらくは療養で父親の母国アメリカに在住していましたが、近年にまた音楽活動を再開させています。
アン・ルイスさんが告白した、パニック障害とは、強い不安感を主な症状とする精神疾患のひとつです。
従来、不安神経症と呼ばれていた疾患の一部で、最近は心の病と考えるより、脳機能障害として扱われるようになっています。
定型的なパニック障害は、突然生じる「パニック発作」によって始まります。
続いてその発作が再発するのではないかと恐れる「予期不安」と、それに伴う症状の慢性化が生じます。
さらに長期化するにつれて、症状が生じた時に逃れられない場面を回避して、生活範囲を限定する「広場恐怖症」が生じてくるのです。
パニック障害患者は、日常生活にストレスを溜め込みやすい環境で暮らしていることが多く、発作は、満員電車などの人が混雑している閉鎖的な狭い空間、車道や広場などを歩行中に突然、強いストレスを覚え、動悸、息切れ、めまいなどの自律神経症状と空間認知による強烈な不安感に襲われます。
症状や度合は、患者によって様々で軽度と重度症状があります。
ライブで激しく唄うパフォーマンスをみせるロック歌手が、このような障害を持つことは意外なように感じますが、著名な芸能人の外見では測りしえないストレスがあるということでしょう。
現代の科学的な先端医療技術では解明できない病が存在しているのです。
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「『私は、バリバリのうつです』とカミングアウトした木の実ナナさんの強さ」
- 2010-12-26 (日)
- 有名人と病気
うつ病は現代の難病のひとつです。
現代医学によっても充分な解明はされていません。
気分障害の一種で、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などを特徴とする精神疾患です。
自殺原因の精神的な要因としてあげられたりします。
著名人の芸術家や芸能人にも多いようです。
それも外見からみては、そのような内向性のあるような性格には視えないかたが、実は内面で悩みとして抱えているような例が多いようにも思えます。
木の実ナナさんといえば、よく知られた女優であり、歌手でもあり、ミュージカル等で活躍する永遠の若々しさを持つかのような、華のある女性タレントです。
芸人の家庭に生まれて、東京の下町の歓楽街で育ち、幼少期は、彫りの深い顔立ちからハーフに間違えられ、苛められた経験があったそうです。
5歳からバレエを始めて、中学3年の時に渡辺プロ主催の新人オーディションで優勝して芸能界入りしました。
才能は評価されながらも大きなヒット曲に恵まれず、低迷して前座歌手をする日々が続きますが、心機一転として1970年には本場のショー・ビジネスを学ぼうと単身渡米します。
1973年、帰国後に劇団四季のミュージカルに自ら応募して、出演を果たした作品がヒット作となり、舞台女優としての地位を確立しました。
以後、多数のミュージカルに出演するようになりました。
1974年から始まった『ショーガール』は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなります。
このようにミュージカルを中心に歌手、女優としての華々しい活躍と成功の影で、実は1992年頃から、更年期性うつ病を患っていたことを告白しています。
現在は医師の治療と周囲のサポートによって、回復しているとされますが、一時は自殺も考えたとも語っています。
2000年には、テレビの特集番組に出演する際に、新聞広告で「私は、バリバリの「鬱」です」というキャッチコピーを使っています。
難病克服の経験を通して、科学では解明できない、愛情や人間の精神性の大事さをお仕事を通して、自分の自然体で訴える姿勢が共感を得ているようです。
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「魂のエース そして呪いに負けなかったジョニー黒木の奇跡の復活」
- 2010-12-23 (木)
- 有名人と病気
元千葉ロッテマリーンズの黒木知宏投手は、そのいつも闘志を前面に押し出したプレースタイルで、マリーンズの「魂のエース」と称されて、ニックネームで「ジョニー」と呼ばれました。
1994年のドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団後、長くロッテのエース、看板投手として活躍しました。
2000年のシーズン前キャンプで右足に怪我を負いますが、無理を押して開幕に入り、前半戦の防御率は10点台と絶不調に陥ります。
それにもかかわらず、その後、前年から決まっていたシドニーオリンピック野球日本代表に向けて二軍で調整し、五輪出場してでも活躍します。
シーズン後半戦は復帰してエースとして活躍しますが、実は右肩の違和感を持ったままのピッチングが続いていたそうです。
2001年もシーズン前半は好調でしたが、前年の肩の違和感を引きずったままであり、ファン投票選出のオールスターゲームに強行出場した後、後半戦からは故障で欠場します。
この結果に対して、当時のマスコミから「弁当の呪い」を受けた選手の一人とされました。
「弁当の呪い」とは、千葉ロッテマリーンズでチームや選手の応援・記念弁当を販売するとその後、故障や成績不振など悪い事態が発生したというジンクスのことです。
黒木投手の右肩の故障は、肩腱板の内側靭帯を数本完全損傷する重傷だったことが後に判明しましたが、現役続行のために手術を選択せず自然治癒を選択します。
単調なウェートトレーニングやランニングを繰り返す日々が続きました。
また投球フォームを肩に負担のかからないサイドスローに近いフォームに改造するなど、血がにじむほどの努力の後、3年をかけて一軍復帰を果たし、3年ぶりに勝利を飾ります。
オフの契約更改では自ら申し出て球団提示額より1000万円減で契約を更改しました。
2005年は右ひじを痛めて開幕から出遅れますが、8月28日の千葉マリンスタジアムでの対オリックス・バファローズ戦で先発し、3万人のマリーンズファンに支えられ自身1年2ヶ月ぶり、本拠地では実に1545日ぶりに勝利を挙げます。
まさに「魂のエース」にふさわしい、そして「弁当の呪い」を断ち切った、重い故障からの奇跡の復活を遂げたのです。
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「子宮ガンを克服したゴッド姉ちゃんこと和田アキ子さんの人間味」
- 2010-12-21 (火)
- 有名人と病気
その大柄で男性的な風貌、若い頃のデビュー前は大阪で不良の女番長として名が知られていたなどという「伝説」も伝えられる和田アキ子さん。
年齢を達してからは、歌唱力も評価されるスケールの大きな歌手としても成長を見せています。
最近ではバレエティ番組等での、歯に衣着せない毒舌ともいえる辛口な芸能評論でもテレビ・ラジオでタレントとして人気を集めているようです。
私生活では、必ずしも幸運なことばかりではなくて、子宮ガンを手術により治癒させています。
プロモーション会社社長との最初の結婚は、8か月で離婚してしまいました。
現在の夫であるカメラマンと再婚しますが、その直後に子宮ガンが元で子供が出来ない身体となってしまいました。
それを心労とした和田アキ子さんは、子供ができないことを理由にご主人に離婚を求めましたが、ご主人から「子どもが欲しくて結婚したのではない」と言われて、その後も夫婦関係は継続されたと言われています。
和田さんは、発展途上国の恵まれない子供たちに、国際ボランティア団体の里親制度に長年登録して、支援活動を行っています。
このようなご自身の病気との体験、心情からきているのか、タレント以外の社会貢献もされている優しい心と強い行動力の顔を持っていることは意外と知られてはいません。
子宮ガンといわれる多くは子宮頸癌(しきゅうけいがん)という、子宮頸部と呼ばれる子宮の出口より発生するガンのことです。
現代医学によって、ヒト乳頭腫ウイルス(HPV)の感染によって発症する性行為感染症という解明はされています。
完全な予防技術は確立されてなくて、進行によっては切除手術によって完治はされますが、和田さんのように妊娠が不可能になる結婚した女性としては悲しい現実があります。
人の人生における病気の克服には、ご当人の強い精神力が必要です。
それに周囲の人が支える愛情も不可欠でしょう。
それには人間の持つ力と、自然のパワーでしか解決できない要素もあるのです。
それがスピリチュアルな気の力です。
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「『死んでたまるか』 難病に打ち勝った奈美悦子さんの生き様」
- 2010-12-18 (土)
- 有名人と病気
掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という病気は、手のひらや足の裏に小さな赤い水ぶくれができ、痛みやかゆみが患者を苦しめるたいへんつらいものといわれます。
しかも、一度発症すると、長年に渡って悪化と改善を繰り返すことが多い難病です。
現代医学でも解明はできてなくて、原因は不明ですが、免疫の異常が関与しているとみられ、アレルギーが悪化の要因の一つと言われています。
不治の難病とさえ言われて、あまりの激痛で患者は自殺まで望むとまで言われます。
女優の奈美悦子さんは、「掌蹠膿疱症性骨関節炎(しょうせいのうほうしょうせいこつかんせつえん)」との闘病生活を、その著書「死んでたまるか!」で克明に記されています。
奈美悦子さんは、中学生の頃、西野バレエ団に入団して以来、金井克子さん、由美かおるさんとともに唄って踊れるタレントとして若くデビューして、歌手、女優として活躍してきました。
その後も数々のテレビドラマや映画に出演していていましたが、2004年に、この難病克服のため芸能活動を休業しました。
現在は、芸能界復帰を果たして女優というよりはタレントとしてバラエティ中心に活動中です。
奈美悦子さんは「毎日、死ねば楽になれると思いました」というほどの辛い症状との闘いと同時に、この病気に対する一般社会のみならず、患者にとって重篤な症状がありながら、掌蹠膿疱症性骨関節炎」という病名すら知らない医療関係者が多いということが、この病気の悲劇を増大させているという驚くべき現状との闘いの経験と語られています。
一般に千人に1人の発症率と言われていた掌蹠膿疱症性骨関節炎が、最近の調査結果からは日本人の200~300人に1人の高い割合で発症しているとされます。
このような現代の難病は、科学では解明できないだけに、よけいに困難で普通の人の力では、あるいは特定医療機関だけでは完治は困難です。
その壮絶な闘病生活を著書から読んで思うのは、科学的な医療だけでない大いなる自然の気の力を必要とすることがあるように思えます。
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「バック・トゥ・ザ・フューチャーのマイケル・J・フォックスの難病との闘い」
- 2010-12-16 (木)
- 有名人と病気
日本でも大ヒットした『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの主人公の「マーティ」を演じたマイケル・J・フォックスは、同シリーズによってハリウッドのトップスターとなりました。
カナダ・アルバータ州生まれの俳優で、本名はマイケル・アンドリュー・フォックスといいます。
若くして国際的な映画スターとしての名声を博した彼は、1987年30歳の若さでパーキンソン病を発症しています。
1990年頃から発症の兆候が見られ、病を隠しながらも、自らプロデュースして主演もつとめたTVドラマシリーズなどに出演を続けますが、1998年に病気を公表、2000年には俳優活動から退きました。
その後は、パーキンソン病の研究助成活動を始め「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を設立します。
また自らの生い立ちやパーキンソン病との格闘を綴った自伝『ラッキー・マン』を発売し、アメリカ国内でベストセラーとなりました。
その売上げは全て同財団に寄付されるといわれています。
CMやこれに合わせて出演した番組のインタビュー映像などで、体を大きく揺らすなど非常に激しい挙動をとったため、それが「パーキンソン病を誇大に宣伝するための演技ではないか」という一部から誹謗中傷を受けたりしました。
このような非難に対しフォックスは各種ニュース番組等の発言で「あれはパーキンソンのありのままの姿だ」と反論しました。
2010年にはカナダ出身ということで、バンクーバーオリンピックの閉会式で元気な姿を見せ、順調な回復をアピールしています。
パーキンソン病は、10歳代~80歳代まで幅広く発症しますが、中年以降の発症が多く、高齢になるほど発症率および有病率は増加する傾向のある現代の難病です。
日本よりやや欧米人に多いとされています。
現代の医学では解明、完治できない難病の克服と、その社会的な運動に献身する彼の姿には心を打たれるものがあります。
現代のテクノロジーだけでは克服できないからこそ、それを超えた霊的な力が必要とクローズアップされるのです。
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「藤田 三保子さんの膠原病との闘いを克服した姿は美しい」
- 2010-12-13 (月)
- 有名人と病気
藤田三保子さんは、女優であり、シャンソン歌手でもあり、画家としても認められているたいへん多彩なかたです。
そのご経歴も多彩で、高校を卒業後、俳優を目指して上京して、歌手の内弟子なども経て、1973年に文学座付属研究所夜間部へ入学します。
同研究所に入ってまもなく連続テレビ小説『鳩子の海』のヒロイン・鳩子役のオーディションに合格し、鳩子の大人時代(18歳から42歳)を演じることで俳優デビューします。
その後も、刑事ドラマ『Gメン’75』に刑事役で二年間レギュラー出演して、テレビを中心に人気女優の座を固めます。
しかしながら、闘病のためにしばしば芸能活動を中断させる苦節の年月も送ります。
最初は「藤田美保子」という芸名でしたが、病気による不運を断つために、1989年に現在の名前に改名されたそうです。
映画、舞台、テレビドラマと幅広い女優活動と並行して、画家として個展を開催したり、シャンソン歌手として公演活動を展開しています。
また「山頭女」という雅号で俳句創作もおこなっていたりしています。
藤田三保子さんが罹病した「膠原病」とは悪性の関節リウマチで、普通は俳優にとっては致命的な病気といわれています。
藤田さんは15年くらいの長期に女優に専念できない期間があったといわれます。
現代の医療では、膠原病はまだ治療法が確立されていません。
初期にはほとんど自覚症状がないといいます。
また、治療としてステロイドの投与の副作用から顔がむくんで膨らむようなムーンフェイス症状が出ることが藤田さんにも現れて、女優として大きな悩み苦しみを負われたそうです。
そんな闘病を克服しての、彼女の現在の多彩な活躍には、目を見張らされるものがあると同時に、知る人を勇気付けるものがあります。
難病に苦しんでいるかたも多いし、現代の科学的な医学が解明できえない病気も多いという事実もあります。
それを克服していく力は、ご本人や支えるご家族等の努力や精神の強さは、もちろんですが、自然や人間には本来そのような難関を克服できる大きなパワー、霊力が存在するということもあるのではないでしょうか。
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「大原麗子さんが苦しんだギランバレー症候群という難病」
- 2010-12-11 (土)
- 有名人と病気
大原 麗子さんは息の長い女優でした。
若いときから年齢を重ねるたびにまた新しい別の魅力を重ねていった、日本を代表する女優、そして美しい日本女性の典型だったかもしれません。
1964年、18歳でNHKドラマへの出演でデビュー、翌年、東映に入社しました。
映画女優として数々の映画に出演して、多くのテレビドラマにも主演して、“好感度No.1女優”にも選ばれました。
テレビCMへの出演も多く、とりわけウイスキーのCMは、「すこし愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーがマッチして大衆的な人気を獲得していました。
そのような華やかな芸能生活における経歴とは対照的に、二度の離婚等、私生活においては必ずしも順風ではなかったかもしれません。
神経疾患である「ギラン・バレー症候群」に悩まされて、その治療のために一時的に芸能活動を休止しました。
2008年には、同症候群の影響とされる足元がふらついて自宅で転倒、右手首の骨折と膝の打撲するという事故で重傷を負いました。
そして2009年に、誰にも気づかれずに自宅で孤独死しているのが発見されてしまいます。
死因は不整脈による内出血であると診断されています。
芸能人の人生が、外から視える華やかさとは裏腹に孤独で精神の過酷な緊張を強いたりすることや、医学では原因が解明されない難病に苦しんでいる例は、大原麗子さん以外にも少なくありません。
このような病気の克服は、現代の先進的な科学的な治療でも難しいといえます。
もちろん、そのような現代医療技術で治る病気もありますが、治りえない病気も存在するのです。
人間の生命の根源にある霊的なパワー、スピリチュアルな気の力なら、悲劇的な人生を救えたかもしれません。
そしてそれはそれほど難しいことではありません。
優れた気功師からの強力なエネルギーを注入された製品を身につけるだけで。
多くの芸能人が、大原麗子さんの死に対して、精神的に追い込まれるような孤独感に救ってあげられなかったことを悔やんでいることをコメントしているようです。
悲劇は繰り返されないことを祈ります。
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「国際俳優の渡辺謙さんが現在も闘い続ける白血病」
- 2010-12-08 (水)
- 有名人と病気
渡辺謙さんは、日本国内でも映画を中心にテレビ、舞台、コマーシャルと幅広く活躍していますが、現在、日本人で世界的に最も知名度の高い俳優の一人とも言われています。
その背景として若いときからの地道なご本人の努力と、経歴は輝かしいものがありますが、それは同時に難しい病気との闘いの俳優人生でもありました。
1989年に、ご自身の映画初主演となっていた『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板を余儀なくされたのです。
その後、約1年の闘病生活で、俳優業に再復帰しますが、それは治療を続けながらのものでした。
そしてさらに、治療の際の輸血によるC型肝炎の感染まで負ってしまったのです。
それでも治療を受けながらも、強い意志で芸能活動を続けられました。
C型肝炎は、医術の進歩もあり、ほぼ完治して、白血病治療も良好に進んで、1993年には一度が芸能活動を再開し、NHK大河ドラマ『炎立つ』に主演しました。
しかしながら、発病から5年経過した1994年にまた再発します。
そして再度治療を行い、経過は良好となって、翌年無事再復帰を果たしたのです。
闘病の試練に打ち勝ったことが演技にも現れているのでしょうか、その後はハリウッド映画にも出演して、スケールの大きな世界的な俳優として活躍されています。
白血病(はっけつびょう)とは、腫瘍化した造血細胞が無制限に増殖して血液中に出現するという難病です。
白血球減少に伴う感染症で40度近い高熱を引き起こしたり、貧血症状での倦怠感、動悸、めまい、あるいは歯肉の腫脹や歯肉出血などの症状が出るといわれます。
白血病の場合、治療により症状が改善しても、腫瘍がすべて消失したことを確認できるわけではないため、完全な治癒はなく、再発の可能性は消えないといわれています。
治癒しても完全に白血病細胞がゼロになったとは断定し切れないため、異常白血球細胞数の検査を生涯に渡って行い、再発・再燃に備える必要があります。
つまり医療の先端技術では充分な解明はありませんから、完全な治癒はないのです。
このような病気を克服するには、病気と向き合い付き合う個人の精神の強さと、人間持つスピリチュアルなパワー、「気」による自然治癒力が不可欠ではないでしょうか。
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